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FASアジアを考える静岡フォーラム
アジアを考える静岡フォーラムは,1988年6月25日、静岡市内でのフィリピン人女性の餓死事件をきっかけに設立された市民団体です。静岡県に在住する外国人の方々の生活・労働問題を中心に活動しています。
"The Shizuoka Forum for Thinking about Asia" is a civic organization that was established in response to the death by starvation of a Filipino woman in Shizuoka City in 1988. The organization primarily focuses on issues related to the lives and employment of foreign residents living in Shizuoka Prefecture.
亚洲思考静冈论坛是一个由1988年静冈市内的一名菲律宾女性饿死事件启发而成立的市民团体。该组织的主要活动领域是关注在静冈县居住的外国人的生活和劳工问题。
아시아를 생각하는 시즈오카 포럼은 1988년 시즈오카시 내에서 필리핀 여성의 기아사건을 계기로 설립된 시민 단체입니다. 시즈오카 현에 거주하는 외국인들의 생활 및 노동 문제를 중점적으로 활동하고 있습니다.
2023年度活動計画
1.外国人無料健診会 チャリティーコンサートの開催
2.2023年10月15日 外国人無料健康相談と検診会の参加と周知
3.エスニック料理の会(アジアの食卓)の開催
4.ヘイトスピーチ問題を考える
5.外国人労働者等の勉強会
6.ミャンマー、ウクライナ等社会問題を考える
7.その他
2023年7月30日 総会
1988年4月21日 静岡新聞
茶色のパスポートには、優しくほほ笑む顔があった。太いマユ、長い髪。ページの間からは、丁寧に二つ折りした
古い百円札が一枚、見つかった。「お守の積もりだったのだろうか」。調査員の一人がつぶやいた。静岡市内で十九
日夜、見つかったフィリピン人女性、アリア・メルセデス・クルーズさん(二七)の死は、急増する東南アジアから
の出稼ぎ労働者「じゃぱゆきさん」の問題に深刻な波紋を広げた。
静岡中央署の調べによると、マリアさんが死んでいたのは、同市吉田町にあるアパート二階の六畳間。布団の上に
横たわったマリアさんの遺体は、骨と皮ばかりで「見るもあわれなやせ方だった」(検視を担当した嘱託医)という。
テレビはつけっ放し。台所の流しには、食べた後の食器が放置され、イオン飲料水の空き缶がテーブルの上に山に
なっていた。冷蔵庫の中には、日本ソバなどが少し入っていただけ。あとは何枚もの派手な柄のブラウスが天井から
つるされていた。
マリアさんは、六十年六月十一日、滞在期間十五日の観光ビザで名古屋から入国した。一時、大阪などの関西や袋
井市など転々としていたらしいが、当時の足取りはよく分かっていない。
関係者によると、昨年一月ごろ、静岡市駒形のパブに務めていたが、その後帰国。再び来日して、今年二月ごろま
で同店で働いていたらしい。吉野町のアパートに移ったのは、三月上旬。同市川辺町のパブを訪れ、雇ってくれるよ
う頼んだが、やせて顔色もさえず体調が悪いこともあって断られた。見兼ねたパブの経営者が従業員寮として使って
いたこのアパートを無料で貸したという。当初は、女性の同居人が一人いたが、最近は一人暮らしだった。
マリアさんの死因について、同署は、栄養失調による心不全とみている。マリアさんが通院したことのある静岡市
内の医院によると、今年一月ごろ、既に急性のウイルス性肝炎にかかっていた。肝炎にかかると、急速に食慾が落ち
る。満足に食べ物が食べられない状態が続き、間もなく急性大腸炎を併発。これが死への引き金となったようだ。一
人暮らしの病床で、イオン飲料だけを口にしていたらしい。
「不法入国者たちは、もちろん保険証など持たない。そのため治療はすべて自費。ただでさえ貧しい彼女らが通院
治療できるだろうか」と同医師は訴える。事実、マリアさんもこの後、一度しか同医院を訪れていない。
「フィリピンのケソン市には、小学生の子供がいる」と、周囲に話していたマリアさん、だが、もう二度と彼女が
故国の土を踏むことはない。
1988年11月6日 静岡新聞 「アジアを考える静岡フォーラム」が発足4か月、相談相次ぐ。
代表(初代):小杉尅次・静岡市一番町教会牧師
1989年4月20日 静岡新聞 フィリピンのアントニオ女史が福祉をテーマに静岡市で講演会
静岡県ボランティア協会とアジアを考える静岡フォーラムの主催
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